「私は好きですよ・・・雨・・」みたいなセリフを言うやつは9割が黒髪ロング美少女で1割がニョロトノ


梅雨らしく雨が続いている。
九州なんかは大雨で大変らしい。あんまりニュースを見ない生活をしているんだけど
漏れ聞こえる雨の規模のでかさに怯えつつ、会った事もない九州のみなさんのために
できればみなさんご安全でいてくれ、と布留部由良由良とか言いながらペットボトルを振り回して
祈っている。「命に関わる豪雨」って何なんだ。勘弁してくれ自然。空から振る水で人を殺すんじゃない。

雨が降るたびにイラつくのが、傘である。ここに書いててもイラついてきた。
手はふさがるわ、どこかに置いたが最後確定で忘れるわ、さしてもそこそこ濡れるわ
で俺は傘を持ち歩くのが大キライである。
昔はイラつくがままに傘なんか持たずに雨の中走り回っていたし、
今でも小雨なら余裕で傘も差さず走っていく。
でもさすがに社会に適合してる身としては、大雨の時に傘をささず歩いて
ビッショビショのビショになって「これがホントの、水もしたたるいい男、ってね」
などと軽妙なジョークを飛ばそうものなら皆さんに白い目で見られまくるし
白い目を通り越して白眼を開眼した皆さんに八卦128掌で全身の点穴を衝かれてしまうだろう。
チャクラが練れないのは困るので傘をイヤイヤしぶしぶしゃあなし傘をさして生活している。

ところで、最近自分が「大人になったなあ」と思うようになったきっかけがこの辺にある。
自分はずっと大人という自覚が得られず、俺は大人になんてなりたくない、僕らはトイザラスキッズのまま
生きていくのかなあとか思っていたが、「傘ささないと雨に濡れるなあ、それは嫌だなあ」と思って
自然に傘をさしたときに、「あ、俺大人になった」と思った。

相変わらず傘はキライだし面倒なんだけど、自然と雨を防ぐため傘をさした。
これはつまり「雨に濡れる=嫌なことである」という世の中の価値観に自分がフィットした瞬間であり
みんなが思ってることを自分が思うことができた、社会にまた一歩近づいたという証拠である。
小さい小さい通過儀礼を1つ乗り越えたのだ。めでたい。
今はもう俺は「雨っていやですねえ」という会話にまっすぐ「そうですねえ、濡れたりしますし」と会話することが
できるのである。なんでもない会話に自分の感覚を正しくフィットさせて話すことができるのである。

自分はアホ寄りの人間なので、こういう感覚を逐一言語化しないと飲み込めない性質なんだけど
共通の感覚を言語化なしに飲み込んだことは自分にとっても驚きだ。
でも、こういう感覚になることを昔の俺は絶対に許してくれないはずなので
過去との和解は通そうである。
「吐いたつばは飲めない」という言い回しが好きでよく使うが、言ってる俺は吐いたつばを
ずーーーーーーーっと口でぐちゅぐちゅしながら毎日生活している。